あすとろのーと


 放課後、校舎の隅にある空き教室。大き目の模造紙を、先生に用意してもらったついたてに黙々と貼りつけていく。
 他の教室や中庭、体育館のほうはやたらにぎやかで、ここだけ世界が違っているようにさえ思える。
 明日は文化祭だ。誰が来るわけでもないのに、僕は部活の展示の準備をしていた。
 大きく引き伸ばして額装した天体写真、この時期に見える星の説明。星座と神話。それと、近くにある科学館とか、隣町にあるプラネタリウムの紹介。そんなことを模造紙に書いて、研究発表として掲示することになったのだ。
 入り口には「天文研究会」の文字の入った看板。マジックで書いた文字はほんのちょっとだけ震えている気がする。
 天文研究会といっても部員は僕ひとりしかいない。部活と名乗ってはいるけれど、学校からちゃんと認めてもらったわけじゃない。なにか部活に入りなさいといわれて、どれにも入りそびれたから勝手にそう名乗っていただけだ。ふだんは毎日のようにプラネタリウムに通ったり、晴れた夜はベランダから望遠鏡で空をのぞいたりする。たまにそれを写真に撮ることもある。学校では図書館で調べ物をしてレポート書いたり、太陽の観察をしたりして、別に誰に見せるでもなく活動していた。
 先生たちはもうほとんど呆れているだろう。もともとあった部活動には入らずに勝手に始めたのだからしかたない。誰かと話をするのが苦手で、例えば球技をしたり、集団でスポーツをしたり、そういうことはどれもまともにはできない。決してそれを積極的に望んだわけではないが、一人でいることのほうが多い。たぶん、そんなの、誰も近寄ってくるわけがない。
 普段空を見ている望遠鏡は、小学生のときの誕生日に買ってもらったものだ。カメラは高校入学のときのお祝い。小さいころから誰かと遊ぶわけでもなく、ただただ空を見てすごしていた。望遠鏡でのぞいているうちに、いつか、遠くにある星がほしいと思っていた。星を取ることはできないけれど、撮ることならできる。ある時、そのことに気づいて、受験に合格したタイミングでカメラを買ってもらったのだった。シャッターを開放にして星が動いていくさまを記録する。望遠鏡にレンズをセットして、満月を撮る。昼間の月は空の青さとの対比が好きだ。だけど、そのことを伝える人はいない。僕はケータイに自分の撮った写真を保存し、ときどきそれを見て、次に撮る星のことや行ったこともないのにもうそのつもりでいる遠くの惑星のことを想像した。
 いつだったか、太陽の黒点を撮影したくて屋上にあがったことがあった。屋上の鍵をあけるのは許可がいるから、理科のナカノ先生に話をしにいった。どうやってやるのか聞かれたから、いつもやっていることをそのまま説明する。
「それ、いつからやってる?」
「写真に取るのは最近です。でも黒点の観察ならもうずっとやっています。夏休みとかに」
 ナカノ先生は、僕みたいに天体に興味を持って勝手に部活を名乗って動いているような生徒を初めて見たらしく、この次、今までの観察ノートや中学の時の自由研究を見せるという約束で、屋上を開放してくれた。
 字が汚いとか気持ち悪いとか言われるのが嫌で、誰にも見せたことのなかった天体観測ノートを先生に見せたたら、ものすごい勢いで質問された。僕は知らないことは知らないといい、わかる範囲で説明した。最近の黒点のこと、金環日食を見ている時には感動してしまったこと(泣いたことは恥ずかしくて黙っていた)、流星群は一晩で50コ近くも見ることができたこと。
 先生はそれ以来なにかと僕を気にかけてくれて、夜中に一緒に観察をしたこともある。だけど、ほとんどはひとりでなにかごそごそやるだけで、クラスの中では変な人扱いになっていることも知っていた。

 体育館のほうではバンドのリハーサルが行われているらしく、微かに音が聞こえてきた。BUMP OF CHICKENの「天体観測」をコピーするやつらがいるようだった。僕は聞こえてくる音にあわせて鼻歌をうたう。こんなところを誰かに見られたら恥ずかしくて死んでしまうかもしれない。だけど誰も見ていないのをいいことに、一緒になって歌ってしまった。
「ノリノリじゃん」
 廊下から聞こえてくる声に僕は心臓が止まりそうになった。あわてすぎて手に持っていた模造紙を落として、画鋲を派手にまき散らしてしまう。あーあ、と言いながら教室に入ってくると拾い集めるのを手伝ってくれた。声をかけてきたのは同じクラスのフジタだった。フジタは部活でやるメイド喫茶の買い出しで両手に大量のコップやら飲み物やらを抱えていた。
「天文研究会? そんな部活あったっけか」
 集めた画鋲を箱に入れ、看板を指ではじく。きっと僕の顔は真っ赤になっていたと思う。普段誰かと話したりすることはないから、なんて言って返事したらいいのか、すぐにはわからない。ないよ、部活じゃないもん。それだけのことをいうのにどれくらい時間がかかっただろう。
「へえ。勝手に始めたんだ。すげえな」
「どれも入る気がしなかったから、勝手にやってたんだけど、ナカノ先生が」
「ナカノに黙認されてんの? へえ。あいつそういうの嫌いそうなのに」
「よくわかんないけど、ときどき天体観測つきあってくれるよ」
 フジタはまだ全部準備の終わらない展示をぐるりと見て回った。僕はこんなの誰にも見られることなんかないって思っていたから、変に緊張して床のほうばかり見てしまった。雑な掃除のせいか、埃が目立つ。あといろんな紙の切れっぱしとか。
 フジタは月とか天の川の写真のところで足を止める。近づいたり、離れたり。へえ、とかなんとか言うのが聞こえる。
「これ、お前が撮ったの?」
「そう」
 どうせただのジコマンだからね。僕がつっかえながら言うと、フジタは写真をじっと見たまま「そんなことないと思うけどなあ」と返してきた。ような気がした。
「俺の父さんも写真好きだけど、こんなきれいに撮ったことないぜ」
 僕を見て笑った。馬鹿にしてない、普通の笑顔だった。僕もつられて笑う。しまった、と思ってすぐに表情を戻そうとした。上手くできなくて慌てる。慌てれば慌てるほどにやけたような顔になって、それがフジタにはおかしかったらしく、フジタは声を出して笑った。お前面白いのな。
「どうせならこんな隅っこじゃなくてもっと目立つところにしてもらえばよかったのに」
 笑いすぎてわけがわからなくなった頃にそんなふうに言ってきた。いやだって正式な部活じゃないし。僕は困ってしまった。本当にこんなことをすることになるなんて思ってなかったんだよ。ナカノ先生がものすごく押すから。
「まあいいじゃん。きっと心配されてんだよ、お前いっつも一人でいるからさ」
 その言葉をどう受け取っていいのかわからなかった。たしかにこんなことでもしなければ、僕は文化祭の間中、空いた教室の隅でなにもせずにぼんやりと過ごしていたかもしれない。たぶんフジタと話すこともなかっただろう。接点なんかないし。
「あ、この曲なんだっけ。宇宙飛行士のなんちゃら」
「宇宙飛行士への手紙?」
 体育館のリハーサルはまだ続いていた。さっきと同じバンドなのか違うバンドなのかはわからないけれど、BUMP OF CHICKENのカバーはまだ続いていた。
「俺この曲好きなんだよね」
 フジタは笑う。そうなんだ、僕もこの曲、
 そこまで言いかけた時に、廊下からフジタを呼ぶ大きな声がした。
「悪い、行かなきゃ。明日また見に来るよ。がんばれよ」
 フジタはまた大荷物を抱えて廊下を走っていった。歩かなきゃダメって言われてんのにな。僕はフジタの背中が見えなくなって、周りに誰もいないことを確認すると、終わらないリハーサルにあわせてまた鼻歌をうたいはじめた。だけど今度は聞こえても大丈夫なような気がした。

 飾り付けも終わって、床の掃除をした。やっぱりなんだかたくさん埃が出てきた。さっきと同じ場所で床を見た。まだ汚いような気もするけれど、たぶん誰も見にこないからこれでいいのだと思うことにした。展示は黒板にほんの少しスペースが空いていた。あまり乗り気ではなかったけれど、ナカノ先生に言われて書いた「この部活動の紹介」という紙を貼ることにした。

去年の春から活動しています。部員は一人です。
普段は月の定点観測や流星群・太陽の黒点の観察、プラネタリウム見学やレポート作成などを行っています。
今回が初めての展示です。つたないですが見ていってください。

「お、できたか?」
 ナカノ先生が確認にきた。お前にしちゃ上出来の展示じゃないか。僕はあいまいな感じでうなずいた。
「なんだ、書いてないじゃないか。ちゃんと書いとけよって言っただろ」
 ナカノ先生に絶対書けといわれたことを、僕は書いていなかった。必要がないと思っていたからだった。ほら、とマジックを手渡される。僕は何度も先生の顔を見て、書かなきゃダメですか、と聞いた。
「書いとけよ。せっかくこんなにいい活動してるんだから、誰か他にいたほうがもっと楽しいぞ」
 僕は考えた。フジタとの会話のこと。先生に気にかけてもらっていること。話が出来ないわけじゃないということに気がついたこと。ひとりぼっちはつまらないこと。
マジックのフタをとって、部活動の紹介の紙の前に立つ。でもやっぱり恥ずかしかった。だから、小さく小さく「部員募集中です」と書いた。