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はなれるときはいつもさみしい


一日一緒にいて、それはそれで良くて、このままずっと続けばいいのに、と毎回思う。
だけど明日は必ずやって来るし、それぞれの生活はあるし、自分のものではないし、お互い。

前は切符だったけど、いつの間にかSuicaになって、残額を気にしたりしなかったり、でもまた来るねなんて言って改札を抜けるのは変わりなくて、通ったあとすぐにこっち向いて手を振る。
名残惜しそうにしたのは最初の頃だけで、今は「電車乗り遅れるから早く行きな」って言っちゃったりして、強がってるわけでもないんだけど、でも振り返る回数が減っていくのはなんか嫌だなって思うし、言葉にするのはわがままな気がして言えないでいる。

ホームに向かう姿が少しずつ見えなくなって、階段を上がっていくところが見えて、ああ、行っちゃったって思って、誰が見ているわけでもないのに顔を見られるのが嫌で下向いて改札をあとにする。毎回このままひとりになったらどうしようって思うけど、また明日会うこともわかってる。そのときはもうちょっと他人ぽい顔をしている。誰にも知られたくない顔を、今している。

楽しい時間はいつか絶対に終わる。こうやって時々会うことも、いつか、なくなる。それがどういうことなのかはまだわからなくて、子どもじゃないんだからもう少しどうにかしろよって自分でも思うけど。でも。

重い。重いよなあ。自分の全てを相手に負わせているつもりはないのに、知らないうちにそうなっている。何度も軌道修正をしているのに、だ。こういうの性分じゃない。だいいち気持ちが悪い。この前だってあの人にそう言われたばかりじゃないか。

そんなふうに考えながら駅から離れてひとりで家に帰る。寄り道はいつもしない。面倒くさい思考は途中のゴミ箱に空いたペットボトルと捨てる。そっけない視線をそっけなく返す練習をする。それは気づかれちゃいけないというよりはなにもなかったようにしなくちゃいけない、それだけのことだ。

Had a bad day.


 家に帰ると僕のもの以外は綺麗さっぱり何もなかった。正確には僕があげたものは持ってって、僕がもらったものや、元々僕のものはゴミ袋にまとめてゴミ置き場に捨ててあった。
 なんだそれ。図々しいにもほどがあるだろ。
 っていうか家財道具一式、また買い直しかよ。ここに来るときにひと通り揃えたのは僕だった。あいつは文字通りビタイチ金を出していない。あれから半年。全部持っていったのだ。泥棒じゃねえか。
 仕事にも使うものはそもそも興味がなかったらしく、手つかずで残っていただけマシなのかもしれない、と思うしかなかった。

 僕はゴミ置き場にあったものを回収して部屋で広げた。ないと困る服の類は部屋の隅に投げた。指輪とか手袋とか、要するになくても困らないモノや思い出と、行くはずだった映画とコンサートのチケットはまたゴミ袋に戻した。そんなものがあったところで何の役にも立たなかった。それだけのことだ。
 部屋の中には耳の奥で鳴る甲高い単音だけがあった。いつも遊んでほしくてアピールの激しい猫の声もしない。足りなくなってきたから買ってきた猫の餌はまるきりムダになってしまった。
カーテンもなく、寝るところにも困る状態だ。今日は近くのビジホにでも泊まって、明日最低限のものは買わないと生活にならない。エコバッグに着替えを突っ込む。ふと思い立って風呂場の鏡に我が身を映してみた。ホームレスみたいだ。僕は声を出して笑った。

 次の日、ユーキューを取って買い出しに出た。久しぶりの自分のための買い物だった。好きなものを主張しても馬鹿にされたり貶されたりすることもない。誰かの好きで占められた部屋は自分の好きだけしかない部屋になった。
 必要なものは全部買ったのに、前よりも家の中は空間があった。人ひとりと猫がいないだけとは違う空間。
 別にどうしてもここでなくてはならない理由もない。猫がいないのだからペット可である必要もない。いいところがあったらそこへ行こう。そう思って、不動産屋のサイトをブックマークした。なんとなくエリアで検索して、すぐに見ることをやめた。封の開いてない猫の餌は玄関に置いたままになっている。

 会社で、雰囲気が変わったと言われることが増えた。いつもどおりにしているつもりだったが、どこかしら違って見えるらしい。フラれたりしたかなんかじゃないの、という奴には心の中で蹴りを喰らわせて「そもそもそんな相手がいません」と答えた。嘘は言っていなかった。
 SNSでは新しい恋人と写したらしい画像があった。あったというか、僕たちを知っている人がご丁寧に教えてくれた。見事なまでにうちから持ってったものに囲まれていた。新しい恋人らしき人にはただの一枚も表情がなかった。きっとこれも遠くないいつか破綻するのだろう。「知らない人」と返事をして、ブロックするか迷ってミュートした。
 向こうがどこに住んでいるかは見当がついていた。何度か来ている形跡はあった。おそらくまた何かを持ち去ろうとしているのだろう。物置にわざと置いた、なくても困らないもののほとんどが持ち去られていた。やっと落ち着いた生活を邪魔されたくはなかったので、家の鍵を替えておいてよかったと思った。

 二~三週間もするといろいろに慣れてきて、始めからひとりだったみたいになった。SNSもしばらく見ていなかったが、思い立って開いた画面にはうちにいた猫が家出したという投稿があった。ミュートしていたのに回ってきたのだった。
 猫は僕の方に懐いていた。というか元々僕が飼い始めたのだった。あいつ人見知りするし甘えん坊だし、外にいたらそう長くは持たないかもしれない。せめて連れ去られる前にどうにかできたら。そう思っていてもなにも進展はしない。玄関に置きっぱなしの餌は捨てられずにいる。

 何日かは心配するような投稿を見かけたが、それも最初のうちだけで、すぐになにもなかったみたいになった。自分勝手は許せなかったが、それを見抜けなかった自分もダメだったのだ。
 犬は元の家に帰ることがあるというけれど、猫はどうなんだろう。そんなにうまく物事が進むとも思えなかった。SNSのミュートはやめてブロックにした。

 毎日、家に帰るたびに周りを探した。いそうなところは見当がついていた。それらしい形跡はあったけど、猫のものかはわからなかった。いつまでこんなことをしているつもりなんだろう。
「にゃおん、いつでもいいから帰っておいで」
 いるかいないかわからないのに声が出た。
諦めたほうがいいこともあるのに、諦めがつかないみたいだった。

 夜中近く。玄関先で音がする。開けると猫がいた。久しぶりに見る顔だった。僕は餌を開けた。ガツガツ食べて、おかわりを催促すると、また食べた。何日も外にいたからか、ひどく痩せていた。
 お前はここに帰るつもりでいたのか? 僕でいいのか? 言葉がわかるはずもないのに、いくつも質問をした。にゃあ、と声がした。そんなの当たり前じゃん。そんな顔をしていた。