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2014年9月12日

君ノ声

面白いものを聞かせてやるよ。
同じクラスのマツシマが僕のところまできてボイスレコーダーの電源を入れる。周りのやつらも興味を持ったのか寄ってきたが、マツシマは「お前らはいつも聞いてるからたぶん面白くないと思うよ」と言うだけだ。
再生スイッチを押す。僕の耳に押し当てる。落としたボリュームの音声が耳に流れ込んでくるのがわかる。

教室の煩さで一瞬なにが聞こえてきたのかわからなかった。だけどこれは僕の声だ。
誰かと普段と同じように話をしているのを、マツシマがこっそりと録音したのだろう。無防備に話す僕の声が延々と聞こえてくる。
僕は「なんだこれ気持ち悪い」とつぶやく。「自分の声なのに気持ち悪いってなんだよ」とマツシマは笑う。声もそうだが、自分の話し方、言葉の選び方、笑うときの感じ、おそらくはしぐさまで見えてくるようで、自分のことではあったが、そのすべてが気持ち悪かったのだった。
「いつもこんな感じだっけか」
僕はまたつぶやく。なに言ってんだよ、いつもどおりじゃん。誰かの声が返ってくる。耳に当てられたボイスレコーダーは、僕の知らない僕の声をした誰かが延々としゃべっていた。そうか、いつもこんな感じなんだ。
「お前自分のしゃべり方が気持ち悪いってどんだけなんだよ」
周りにいた何人かが笑っている。そりゃそうだろう。聞いたことがないわけじゃないけれど、こんなに無防備にしているところを録音されることはまずない。それを意識してしゃべるから気持ち悪くない。だけども。そりゃ気持ち悪いって言うよな。それだけの言葉を口にすることができなかった。どう言えばいいのかがわからなかったからだ。

もういいよ、と言葉にする代わりにボイスレコーダーを押しやる。マツシマはあっさりと再生を止める。
頭の中で言葉を組み立て、何度かシミュレーションをしておかしくないか確認してからようやく「それいつ録ったんだよ」とマツシマに聞いた。
「いつだっけな、二三日前じゃね。なんかめずらしくはしゃいでんなーと思ってさ」
話の半分くらいは聞いてなかった。なにを話すかを組み立て、おかしくないかを確認してから話すから時間がかかる。「んだよ意識してんじゃねえよ、こいつマジきもい」そういって笑うやつらをかわすこともできなかった。
落ち込んだのとも違う、変に自分を納得させるかのような言葉を頭の中でぐるぐるとさせて夕方までやり過ごした。話しかけられても反応は遅く、笑っても「なんかあった?」と聞かれた。それくらい僕にとってはひどく衝撃的だった。
しばらくするとそのときほど意識しなくても大丈夫にはなった。だけど何かの拍子に考えすぎて反応が遅れることが増えた。クラスの連中は僕がそんなことを気にするようになったことを知らないか、その場にいたやつらも忘れてしまったようだった。

それは大学に入ってからも続いて、考えることも気にすることも面倒になって、黙っていることが多くなった。そのほうが気楽だった。アルバイトでレジをたたいているときはマニュアルがそうしろと言っているからさらに気が楽だった。レジを間違えないようにだけ、気を使えばいいからだった。
ある時、社員から接客について確認と面接があった。客からクレームが来ないようにという、社員教育の一環だそうだ。確認は知らないところで行われていた。いつの間にか見に来ていて、僕やほかのバイトの接客態度をチェックしていた。
面接はそのあと一人ずつ呼ばれた。良いところと悪いところ、悪いところは直すように言われる。ほとんどのやつらは何かしら注意されたらしい。受け渡しが雑だったり、返事の一つ一つが荒かったり。「うちは居酒屋じゃないから」と言われたやつもいたらしい。お前も気をつけろよ、といちばん長くバイトをしている先輩に言われた。

「君は」
僕が呼ばれたのは一番最後のようだった。バイトも終わって、もう帰ろうとしたときのことだ。社員はチェック表かなにかを見ながら、僕とは目を合わせずに話をした。声は少し小さいけれど、おおむね問題ないんじゃないかな。初めて否定されなかった。
「俺もあんまり人と話するの好きじゃないけどさ、君もそうでしょ」
意識しすぎるとダメなんだよねと笑うので、つられて僕も笑いそうになった。そう、ですね。そうかもしれません。
それ以上のことはなにも言われなかった。「まあ、これからもがんばって」とだけ言われた。
それじゃあ失礼します。僕はタイムカードを押すと帰ろうとした。ああそうそう、と社員は思い出したように僕に言った。
「君の応対は好きだなあと思う。声も、話し方も優しいからこういう仕事向いてるんじゃないかな」
明日もあるんだっけか、とシフトを確認しながら話を続けた。相変わらず目は合わせない。
お互いにがんばろうな。君は人付き合いが苦手かどうかわからないけど、俺みたいなそういうのダメなのでもこういう仕事してるから。
僕はどう返事していいかわからなかった。はあ、という気の抜けた返事をようやくすると、バイト先を出た。
気をつけて帰れよ、といった社員のほうを見る。初めて目が合う。笑っていたような気がする。僕はほんの少しだけ笑顔を作って頭を下げた。