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2015年4月27日

帰郷(あるいは黒塗りにされたドローンのための)

首相官邸にドローンが落ちた日、繁華街では若者が騒ぎ、保育園にはお迎えの親が帰宅を急ぎ、僕は彼女を思って、永遠に未読のままのメッセージを送る。
ラジオからは大江千里が流れ、DJは似てると一言で済ませた。
10年どころでは済まされないくらいに時は過ぎ、僕は長い余生を彷徨い、彼女に打ち明けることもなく離れてしまった。
同窓会名簿は転居先不明の印がついているだろう。誰もどうなったか気にも留めないだろうことは離れる前からわかっていたことだ。
主義主張をしたところで、共感します、と言われてしまえば、それは何の意味も持たないことを意味する。いいねがいいのか悪いのかはっきりしないのと同じだ。聞きましたの保護者印ほどの効力しかないことを知っているのは受け手だけで、自らが発信側になった時に受ける同じことには理不尽だと憤るのだ。
トラックレースのように同じ場所を回るだけなのか、螺旋のように少しは先に進んでいるのか、誰もわからない。 振り返った時の景色の違いはおそらく変わらず、変わったのは自分の目線の位置と押し込められた立場のほうなのだ。
生きてゆく。生きてゆく、死にかたもわかっていて、後は実践するだけだが、生きてゆく。
彼の言葉は永遠に伝わることはなく、ドローンの形の奇妙さだけがクローズアップしてゆくだろう。
車で街中に突っ込むこと、人混みでナイフを振り回すこと、誰かを傷つけること、誰でもいいというのは自分のいる位置よりも相対的に下である可能性、無理解、気持ち悪いと一言で片づけること。
なにも変わらないまま誰もが思うあの頃から何年か経ち、僕たちはそれぞれの場所で淡々と生きていく。